Le Sserafim 語録
宮脇咲良語録
「故郷の鹿児島を応援できるんじゃないかって思って、HKT48に応募しました。博多も応援したいんですけど、鹿児島人なので、鹿児島が栄えてくれたらと思います。HKTの仲間は良くしてくれて嬉しいんですけど、もう一人ぐらい鹿児島の人がいてくれればいいなあと思います。メンバーと話すときは博多弁で、お母さんと話すときは鹿児島弁で話します。7月からずっと練習してきましたが、ダンスと歌が大好きなので苦痛だとは少しも感じませんでした。柏木由紀さんとは、西武ドームのお披露目の時に『鹿児島の子だよね!』と声をかけていただきました。柏木由紀さんが私を引っぱってくれると思うので頑張ります。由紀さんと一緒に鹿児島を盛り上げていきたいです。てゲてゲはいつも見ています。てゲてゲ! 柏木由紀さんの特集を見ていたので。私はその時はまだHKTには受かっていなかったですけど、こんなになりたいなあと思ってみていました。私はミュージカルも大好きなので歌って踊れるアイドルになりたいです。私はミュージカルと歌とダンスが大好きなので、皆さんを幸せに出来たら嬉しいです。これからも応援よろしくお願いします。てゲてゲ!」メンバーからは「漬物や梅干しが大好き! 渋い! お弁当に梅干し入っていたら奪われる! 」(2011年11月鹿児島県ローカルテレビ「てゲてゲ」)
「今日は3.11の日。一年前の今日、東日本大震災が起きました。私は一年前、中学二年生でした。あの日私は、鹿児島の海岸を27キロ歩く学校の行事に参加していました。海岸に流れる「地震が起きました。海岸から離れて下さい」というアナウンス。でも、私はその時「大丈夫だろう」と思って、海岸から離れませんでした。その後も海は荒れることなく、津波も来ませんでした。家に帰る時には地震のことなんて忘れていて、何気なく家のテレビをつけると。テレビに映る映像は目を疑うものばかり。戦争のように燃え続ける街。「逃げろ!」という声と簡単に流れていく車。「お母さん!」って叫びながら泣き続ける女の子。両親が亡くなったことがまだ理解できずにカメラに向かって笑い続ける小さな男の子。全て日本で起きていることだと思えませんでした。「テレビの画面をひとつ越えたらそんな光景が流れている」。信じられなかった。その日は寝れませんでした。というより、寝ることを忘れていました。ずっとテレビに釘付けだったんです。テレビを見ながら「生きていて。生きていて」と思い続けていました。気づいたら朝。涙でテーブルが濡れていました。見たこともない人なのに、なぜだろう。どうか生きていてほしい。そう思った一日でした。そして今日、2012年3.11。一年の間に私はHKT48に入って、周りの環境も変わりました。今日は東日本大震災復興支援特別公演~誰かのためにプロジェクト~をAKB48グループ全体で行いました。私もHKT48の一員として参加しました。公演が始まる前、急に不安になりました。こんな日に舞台に立っていいのかな。そう思ったんです。そんな思いのまま公演がはじまりました。そして、地震があった14:46。黙祷。たった一分の黙祷でしたが、一年前のことが一気に思い出されました。今日は誰かのために精一杯しよう。そう思っていつもと違う楽曲を精一杯しました。そして、最後。AKB48グループ全体で歌う『桜の花びらたち』。自分で歌いながら、本当に良い曲だなぁと思いました。そして、ファンの皆さんを見てみると泣いてる。泣いているんです。私達の歌を聞いて。その時思いました。ここに立っていていいんだ。私達の歌で感動を与えられるなら、たくさんの人にみていてほしい。震災を体験していない私がこんなことを語っていていいのかわかりません。長文を読んで下さってありがとうございました。一日も早い復興をお祈りします。~誰かのために人は生きてる~」2012年3月11日Google+
元気や勇気を届けにいくのに、不安そうな顔をしたら行く意味がない!
「亡くなった息子さんがその当時の私と同じ年齢だったんですよ。一日、毎日毎日をその人の生きてこれなかった人の分、精一杯生きて、そしていつでもたくさんの人に感動や元気を与えられるようなアイドルグループにして行きたいです」(2012年3月28日AKB被災地訪問)
「こんばんは!宮脇咲良です!
今日は被災地の宮城県名取市に板野友美さん渡辺麻友さん横山由衣さん竹内みうさん中俣汐里さん岩田華怜さん以上の先輩方の皆さんと一緒に訪問させて頂きました。
初め、被災地訪問に行くと知らされた時少し不安がありました。
3.11の震災復興支援特別公演で自分の出来ることを精一杯しようときめたのにやっぱりいざ行くとなると私なんかが大丈夫かな...と。
でも元気や勇気を届けにいくのに不安そうな顔をしたら行く意味がない!心に決めて被災地訪問に行きました。
被災地に行くと小さな子供達からご年配の方までたくさんの方が笑顔で待っていてくれました。
本当に短い時間でしたが見ていて下さった方は皆心から楽しんでいる表現をしていました。
最後に握手会を開いた時
「頑張ってね! 」
「応援してます!」
と応援の言葉をたくさん頂きました。
私の思っているより被災地の皆さんは前を向いていました。
だけど心の片隅に隠してはいるけど消えることのない深い傷跡が日本人にはあると思います。
私達は歌って踊って笑顔と勇気を届け、そのキズを出来るだけ癒し、一日も早い復興を目指すと決めました。
誰かのためになるならステージがある限り私は歌い躍り続けます。
そして私達の握手会が終わりバスに乗り込もうとした時
「息子の為に1本でもいいのでお線香をあげてもらえますか?」
ある女性の方が声をかけて下さいました。
女性の方から本当に一生のお願いだからと必死に頼まれました。
私達に少しでも出来ることがあるなら...と思い仮設住宅に向かうと一番最初に思ったのは狭いということです。
広さ的には大体独り暮らしの部屋ぐらい。
その部屋には4人で生活していてそんな不便なところに一年も住んでいる人が今もいるのです。
お部屋の中には犬が1匹がいました。
女性の方は大事そうに犬を抱き抱えて「唯一、家から持ってきた荷物なんです。」と笑顔で言っていました。
津波で家は流され、息子さんも流され亡くなられたと話して下さいました。
息子さんは私と同い年でAKB48さんの大ファンだったそうです。
仏壇には息子さんの写真とAKB48の下敷きが置いてあり、私達は下敷きにサインをしました。
サインを書きながらふと女性の方を見ると
「亡くなってもこうやって親切にしてもらって幸せだね~」
と写真に向かって笑いながら泣いていました。
「ずーっとずーっとAKB、AKBってうるさくてねー下敷きとかグッズを集めてねー。まぁ、全部流されてしまったけどね!」
女性の方は話しているときずーっと笑顔でした。
話を聞いて私達が泣いていると励まして下さいました。
本当は私達が元気を届けないといけないのに逆に笑顔を貰ってしまいました。
その後、津波の被害を受けた場所に行きました。
本当に何もなかった。
住宅街だったその場所はあと影もなくただの原っぱにしか見えませんでした。
原っぱの中心に小さな丘のようなところがあってそこには震災の一日も早い復興を祈願する場所がありました。
その丘から周りを見渡しても空襲があったんじゃないかと思うぐらい何もなかったです。
何も。
私が被災地に行って学んだことは書ききれないぐらいたくさんあります。
そして、気付いたことがあります。
きっとガラスが飛び散っただけだと思いますが土はきらきらしてました。
津波によってたくさんの命を奪い、たくさんの人を悲しませましたが海はきらきらしてました。
心のどこかに深いキズがあるんだろうと思いますが皆の笑顔、瞳はきらきらしてました。
被災地はきらきらしてました。
今被災地は復興に向かって一歩一歩ゆっくりですが確実に進んでいます。
明日からの一日一日を大切に一生懸命悔いのないように生きていきます。
被災地の一日でも早い復興をお祈りします。
さくら咲け(συσ)/*★.。」(2012年3月28日3.11復興特別公演のあと)
劇団四季の舞台裏に貼ってあった「慣れは去れ」という言葉を、現在も行動規範として守り続けている。「慣れると成長がないと思います。そのことを実践して成長していきたいです」『日刊スポーツ』 2012年5月3日
超人ホワイトアイマン、年に2回だけ白目ビームが出せる。寝不足で目の下に隈がある。シュワッチしてる。なすびのヘタをつけている。(2012年5月17日あるあるYY劇場)
超人エンジェルエンジェル、キン肉マンが死んだあとこうなる。ハエぐらいのスピードで飛ぶ。(2012年5月17日あるあるYY劇場)
チーモンチョーチュウ白井を白井→白いキノコ→エノキと覚えた(2012年5月17日あるあるYY劇場)
HKT48チームHの宮脇咲良です。今回は投票してくださった皆さん、応援してくださった皆さん、支えてくださった皆さん、本当にありがとうございました! 私はHKT48として劇場公演やメディアへの出演や握手会などで活動できることが本当に本当に楽しいです。うぅぅ、これからも昨日より今日、今日より明日と、日々向上心を持って、支えてくれた人たちに恩返しをしながら頑張っていきたいと思いますので、これからも応援よろしくお願いします! 今回はありがとうございました!(2,012年6月6日総選挙47位)
英語の勉強の秘訣は「気持。できないと思ったら一生できない」(2012年10月18日あるあるYY劇場)
チャームポイントは、大きな耳。「人の話を聞いている人は、立ち耳になるらしんですが、私もそうありたいと思っています」「自覚はないのですが、周りのみんなには“24時間アイドルだよね”って言われます」将来の夢は、みんなを幸せにすることが出来る女優。「桜のように咲き誇れる女性になりたい」天海祐希のような色々な役を演じられる女優になること。2012年12月6日発売まるっとAKB48 スペシャル3 with SKE48&NMB48&SDN48&HKT48
咲良はメンバーにも電話番号やメアドを教えていない「めんどうだから。毎日会えるから」。咲良の望み「絵を美術館に出す。ディズニーランドでHKTオリジナルコンサートをする。もっと面白くなりたい。もっと綺麗になりたい。もっとオシャレになりたい。もっと大人っぽくなりたい」(2012年12月)
朝起きたら、顔を洗う前に先ず歯を磨く。なぜなら、歯磨きで口のまわりが汚れるから、次に顔を洗う。(2013年4月16日まどかのまどから)
今度、FMさくらの『咲良が咲くから』をやってほしい。もう名前まで考えてある!(2013年9月2日まどかのまどから)
携帯電話に通話機能とメール機能のどちらかが無くなったらいやかの問いに「二つの機能があって携帯電話。だから絶対に無くならないから、考えたって無駄!」家にほしいものはプールOR温泉?「私の家小さいし、水道代も電気もいっぱい使ってお金かかるしどっちもいらない!」コナンはどうですか「犯人はお前だ!っていって犯人泣いちゃうし、結局解決しちゃうし何が面白いの? それより、進撃の巨人やバイオハザードが大好き! 何が起こるが全然わからない!」(2013年9月3日まどかのまどから)
「さいしょはぐちょちょこじゃんけんぽん!鹿児島ではこう言います。」「ウーワンワンワン、エーウォン、バウ! 犬と猫と荒ぶる馬の鳴きまね アイドル棄てました。」(2013年9月4日まどかのまどから)
過去現在未来と書いた箪笥の未来の奥に「未来は自分で作るもの」と隠れメモ。忘れ物ボックスには「人生に忘れ物はしないように」。ティッシュケースには「いつも君の頑張りを見てるよ」。私いいこと書くのが好きなんです。(2014年3月4日まどかのまどから)
ファンから「プロすぎる」と言われることについて「私にとってそれは、褒め言葉です。プロを目指して頑張ってきたからこそ、プロだと言ってもらえるなんて、本当にうれしいんです」(「週刊プレイボーイ」2014年8月4日号)
恋愛に嘘はついてはだめ。ほんとうに好きならやさしい嘘もダメ。真のパートナーは真実で語り合うこと(20170419さくのき)
どんな娘を好きになってもいい。でも最初に好きになった私はぜったに忘れられない。初恋は忘れられないから(20170504さくのき)
今頑張らないと最悪な人生が待っていると思って歯を食いしばって勉強する。青いペンで書いたことは忘れない(20170504さくのき)
AKB総選挙が迫っている中で励ましの言葉と温かい応援ありがとうございます。でも総選挙の話を聞くと自分の首を絞める様でとてもつらいですね。総選挙をしないグループだったら、いいなと思う私がいます。『誰かを超えたい』という話をするのも苦しくなります。仲のいい仲間だと思っていたメンバーを敵視するというのはどういうことなのでしょうか。だいたい、私は総選挙に出て何を得ようとしているのかわかりません。ステージやコンサート、ドラマにも出演してアイドルとして楽しく活動することだけではダメなんでしょうか。総選挙中心に活動して何かアイドルとしての本当を失ってしまったとしたら悲しいです。だから今年は自分に忠実に本来のアイドル活動をすると決めました。心から誠実に頑張りたいと思います。(2017年6月)
いつも応援してくださっている皆さん 本当にありがとうございました。ステージから見えるピンクのペンライトが、本当に本当に綺麗で涙が止まりませんでした。いつも支えてくれてありがとうございます。これからもよろしくお願いします。そして『不協和音』をHKT48のランクインメンバーと歌わせて頂きました。今一番伝えたい事をどうやって伝えようと考えて、不協和音を歌おうと決めました。私達は表舞台に立っているから、風当たりが強いです。一つ一つの心無い言葉に耳を傾けていたら、心が持たないから気にしないようにしています。でも、やっぱり傷付いている事は確かで。だから、伝えたかったんです。私達はただ、必死で全力なだけだったんだって。時には失敗もするし、間違える時もあるけど、成長をし続けようともがいているんです。そんな時に、心無い言葉を目にすると、本当に心が壊れそうになります。だから、そんな言葉をかけてくる人に向けて『僕は嫌だ』と叫びました。そして、心が壊れそうになる時に救われるのがファンの皆さんからの言葉です。心無い言葉に傷付けられて、愛のある言葉の救われる。だから、これからも前に進もうと思えるんです。いつも温かいコメント、本当にありがとうございます。少しでも見てくださっていたファンの皆さんに伝わっていたら嬉しいです。そしてこの曲をHKTメンバーと歌えて本当に良かったです。一人だったら、歌う勇気が無かったけれど、みんなが居たから歌えました。本当に本当にありがとう。私は私なりの解釈をしようと思い…みんなで、見えない何かと戦う。それが不協和音になってしまっても、負けない。そんな気持ちで、歌いたいと思っていました。(2017年10月7日)
勉強は裏切らない。アイドルが売れるのは運が大きいけど勉強は自分がやっただけ成果が帰ってくる。アイドル止めたら大学に行きたい(2018年1月31日さくのき)
サイン会ではみんな緊張していて面白いので、「見つめ合い」してる。きっと記念になる!(2018年2月6日さくのき)
アイドル歴7年の私がプロデュース48に参加する理由は自分に自信をつけたいからです。私は自分に自信がありません。そんな自分を今のままでは愛することが出来ません。私はAKBでセンターを務めました。でもそれは応援していただけるファンの皆様のおかげで実力ではないと思います。韓国という自分を応援していただけるファンがいない場所で、どれだけ私をサポートしていただけるか、どれだけ達成できるかを見てみたいと思っています。日本のファンの皆さん、私はどこにいても私です。皆さんと一緒に達成したい夢がありますので、応援お願いします。韓国の皆さん、私はパフォーマとしてそれ程才能があるわけではありません。でも自分はだれよりも情熱家でだれよりも努力家です。そんな私を応援お願いします。(2018年6月)
「自分の実力はFクラス。よくてD。そこで練習をいっぱいして這い上がりたいと思っていた。でも今日のクラス分けでこんなにも頑張っている他の日本人メンバーがみんなFランク付けされて、とっても悔しい思いがしていたので、私が少しでも、日本人もやればできるんだぞと言う所を見せつけたい」(2018年6月11日Produce48クラス分け審査でその後Aクラス判定)
「推せる時に推す」「会える時に会う」本当に ”いつまでもいると思うな親とアイドル” ですね(2020年7月10日「今夜、咲良の木の下で」)
K-POPに興味を持ったきっかけは?「自分が日本でアイドル活動をしているときに、グローバルで活躍されているBLACKPINKさんやRed Velvetさん、TWICEさんを見て、こういうアイドルもいるんだかっこいい!って思ったのがきっかけです。具体的に言うと、曲のクオリティや世界観、コンセプト作りなど、憧れるものがすごく多くて。特に、自分自身の強さや魅力を歌詞にのせて歌っているかっこいい姿に憧れましたし、そういうところに興味を持って見ていました」「日本のアイドルも色々な形態でアイドル活動をされていますし、これは私の経験なのでもしかしたら違うかもしれませんが、日本にいたときに、清純なイメージで、王道のアイドルの方がいい、とか、私もそういう観念に自分がとらわれ過ぎていたところがありました。だけど、韓国のアイドルを見た時に、メンバーそれぞれが鮮やかな髪色にしたり、「私は私だ」って個性を強調して歌っているところが、とても印象的で。それを見た時に、私も自分のやりたい事とか、自分のなりたい姿をファンの皆さんにお見せすることができたらもっと楽しいだろうなって気づき始めて、なのでYouTube配信に挑戦したり、髪を染めたりしてはいたんです。私に対しての世間のイメージが、正統派とか、真面目っていうのが結構多いことをすごく感じるんですね。でも本当の私って結構適当な人間で(笑)。でも、変なところですごい熱かったり、頑固で、きっと変な人間ではあると思うんですけれど、そこをありのまま出していきたいというか。自分らしさとか、自分の考えていることを世間にぶつけたら、皆どんな反応をしてくださるか楽しみです。そういったありのままの姿をこれから曲で表現していけたらもっと世界は楽しくなるだろうなって思います。まさか自分が日本でアイドルをしてるのに、途中で渡韓して2回目のデビューをするなんて考えてもなかったので、そんなこともありなんだ!みたいな感じで、また自分が一から頑張れる、新人として頑張れるっていう環境がすごくありがたく、だからこそデビューの時はすごく覚えてます。あとは、一時期すごいいろんなことを考えたん時期があったんですが、アイドルそして、自分自身ってなんなんだろうとか。その時に作曲の勉強も始めたりして、そういった期間を経てまたステージに立った時の感情は、忘れられません。今まで当たり前に立っていたステージの大切さを感じて、IZ*ONEでいる瞬間瞬間がとっても大切で毎日が感謝の気持ちでいっぱいです。私は現在22歳なんですけど、13歳からこの世界で生きているので、自分の人生のほぼ半分がアイドルなんですね。だから、自分自身ってアイドルをとったら何もないんだなって感じて落ち込んだ時期があったんです。だけど、ステージに立ったら、ああ私の居場所はここだなっていうのを感じられたのと、人生の半分アイドルをやってきたことを後悔しないこと、やれる限りステージに立ち続けたいって思いました。」12人の中でどうやって個性を出すか「自分の強みはファンの皆さんとコミュニケーションの距離感が近いこと。例えばオンラインハイタッチ会があるときは、ツイッターを見て誰がくるか確認して、ちゃんと覚えておいて、会った時に「ツイッター見たよ!」って伝えたりとか、本当に細かい部分までファンの皆さんを知ろうとする気持ちは前からずっと変わらず、いつも意識してやってます。それ以外のスキル的なところで言うと、最初はとても悩んでいて、というのも韓国ってポジションがあるじゃないですか、メインボーカルとかリードダンサーとか。韓国のアイドルって練習生の期間があって、3年や4年とかずっと練習だけしてることも当たり前で。私は日本で活動していた頃に練習だけをしていた日々がなく、ほぼ経験がない時からステージに立たせていただいているので、その経験を積んで成長する、みたいな。自分がボーカルのポジションですって言うにも、歌の実力もそこまでだし、ダンスもそこまでだった。だからこそ私は、開き直っちゃって「成長していく自分を見せる」ポジションというか、前のアルバムより数倍成長した自分を見せることで、これが自分の良さだっていうのを胸を張って言えるように、いつも練習してます」作詞作曲にかかわることに対して「今までは受け取ったものを歌うっていう感じだったのですが、メンバーが作詞作曲してるのをみて、自分も曲って作れるんだっていう、そこからでしたね。去年の10月くらいから作曲し始めたんですけど、その時に自分が認められているような気がしてすごく嬉しくて、というのもそれが、自分にしか出てこないメロディーだし、自分だけの言葉じゃないですか。そう思った時に、この曲は私だけが作れるって思えて、すごくやりがいだったり楽しさを感じたんです。そこから私が考えていることや思っていることを、もっとファンの人に知ってもらえたら素敵だなって思って、作詞作曲を本格的に勉強して作りました」韓国語の勉強は「IZ*ONEのデビューが決まってから、初めて韓国語の勉強始めました。メンバーと話しながら、わからない単語があったら調べてって感じで、最初は本当に大変でしたね。何よりもメンバーと話すことが一番の練習になりました。自分ではあまり気付かなかったんですが、韓国語を話してる時の方が結構ズバっと意見を言っている気がします。日本語って曖昧な言葉もあるから、曖昧な話し方が慣れてしまっていたのですが、韓国語にももちろんそういう言い回しはあると思うんですけど、私がまだ語彙力が足りないせいもあって、思ったことを「これはこうだ」って、言うようになったみたいです。もともと自分自身があまり自信はないし、謙虚でいなければいけないって思っていて、「私なんかが」って言っちゃうタイプ。そんな自分が毎週配信してるラジオで、「私って頑張ってると思います」と言えるようになったり、自分を認めることを少しずつできるようになった。韓国語を喋りながら自分に自信がついてきたのは良かったです」BTSが全米1位に「シンプルにすごいなっていう気持ちです。特に、BTSの ビルボードチャート1位獲得は衝撃で、アジアからそういうグループがでたっていうのがすごく誇らしくもあり、刺激にもなりました。国も言語も違うけれど、聴いてくれる人がいるっていうこと自体が感動でした。まだ韓国語も未熟な段階ではあるんですけど、でも本当に、もっと世界に通じるようになりたいっていう気持ちはあるので、だから英語も学ばないといけないし、もっと世界の曲に触れたいです。IZ*ONEの曲もいい曲にたくさん恵まれましたが、グループとしてまた違うジャンルの曲にももっと挑戦してみたいって気持ちもあります。今でも海外のファンから外国語のコメントをSNSでいただくと、信じられないし、とても嬉しい気持ちで胸がいっぱいになります。自分の想像のできていなかったところまできてしまった!と。」IZ*ONEがひとつになったと思った瞬間は「一つは、私たちが初めて単独コンサートを韓国でしたときに、最後全員で挨拶するんですけど、みんなで集まって円陣を組んでいるときに大泣きしたんですよ、ステージ上で。もうみんな嗚咽のレベルでそのとき泣いたんですね。デビューからずっと駆け足で活動してきて、初めて自分たちが大きな会場を埋めることができて、無事コンサートできたっていう達成感もあり、あのときは本当に私たちが一つになったなって思いました。それ以外にも一つになったと常日頃、思うことが多いんですけど、みんなで「IZ*ONEが好き」って話したときにそう感じました。日本人って「愛してる」とか「好き」とか、思っていても恥ずかしくて、言わないじゃないですか。だけど、驚いたのが韓国のみんなは普通にそれを言うんですよ。ふとしたときに、「あー、IZ*ONEめっちゃ好きだわ」とか、「咲良愛してるよ」って、冗談とかでも表現しちゃう。そういう愛情表現がすごく素敵だなと思って、ああIZ*ONEってとてもいいグループで、一つなんだなって感じることができます」 (2020年10月21日ELLEインタビュー)
SNSも今私してないのでファンの皆さん不安だなと思うこともあると思うんですけど、まあアイドルを応援する上で1番皆さんに心得ていてほしいことは『公式(発表)を待とう』これしか言えないんですけど(笑)(2021年5月5日「今夜、咲良の木の下で」)
ファンから「今日何をしていましたか」と聞かれたら「○○してました。あなたは何をしていましたか?」と聞き返してあげてください。ファンから「怒った顔見せて」などと変なこと言われたら、「他のアイドルを好きにならないで。私だけを好きになればいいよ」と言ってください。(2022年4月20日ぐらい)
人は目をつぶればいずれは眠ってしまいます。太陽は東から登りますが、いずれは西に沈みます。人生はそういうものです。(2022年5月知ってるお兄さん)
私の両親は私が1歳の時に離婚しました。私は父の写真を見たことがありません。14歳でデビューして握手会をしたときにファンだという男性が握手を求めてきました。私はその男性と握手をした瞬間に「この人が私の父親だ」とわかってしまいました。それはつぎに並んでいる人が祖母で「今の人誰だかわかった?」と聞いて来たからです。(2022年5月知ってるお兄さん)
(なぜ韓国に来たんですか?との質問に対し)「私はずっと挑戦することが すごく好きなの。いつも道が2つあると、わざわざ大変な道を選ぶの。そうすれば 得られるものも多いし、大変な分だけ 私は韓国語をも少しできるようになったし、実力なんかも向上したし、自信も持てたし、人はやってみれば、できないことは ないんだ、こうやって考えるようになって 今も3回目のデビューをしてずっと挑戦しているんだと思う」「すごい名言を一つ学びました」(2022年5月ODG BEHIND)
(どうやったらアイドルになれますか?との質問に対し)「小さい時に学校とかで踊ったりとかして、なんかすごく舞台に立ってみたい、ステージで踊ってみたいとか思うようになってから、練習したりとかオーディション受けたりとかして、なんか少しでもその夢に近づけるように、ちっちゃな努力をちょっとずつしていったら それが積み重なって今の自分ができたかなって思うから。今は意味のないようなことに見えてもいつかそれがすごく大きなものになって 返って来ると思うから、本当にもうテレビ見ながら真似して 踊ったりとかしても本当に練習にもなるし、夢を大切に、いつかステージで踊っている姿 見たいなって思います」(2022年5月ODG BEHIND)
「世の中にはどんなに努力してもかなえられないことがありますが、勉強だけは努力すれば努力するほど結果となって帰ってきます。反れば一番わかるのが数学なので、私は数学が好きです」(2022年6月14日WeverseLiveVoiceOnlyにて)
小学生の頃から夢が多かったです。ミュージカル女優さんにもなりたかったですし、ステージに立つことも好きでしたし、お医者さんにもなりたいと思っていたので、勉強も頑張りながらミュージカルの教室も通っていました。中学2年生の頃からアイドル活動を始めて、まだその段階では夢を1つに絞りきれていなっかたのですが、高校生の頃から芸能界でやっていきたいという気持ちが強くなり、そこから本格的に活動を始めた感じです。(2023年2月8日ハリウッド大学CMインタビュー)
「遠回りはない」という言葉をかけたいですね。今まで本が好きでよく読んでいたりとかミュージカルを習っていたことがアーティストとして活動していくなかですごく助けになっていき、昔はもっと近道がないのかなとか探したりしましたが、どんな道も今の自分を作り上げるなにか手助けになると思うので、その時やっていることを全力でやっていて欲しいと思います。(「高校生の自分に声をかけるとしたら」2023年2月8日ハリウッド大学CMインタビュー)
誰しも人生の選択をするときはすごく迷い、悩むと思います。私自身も実際たくさん悩みましたが、それほどその物事に対して真剣だという証拠ですよね。実際選んでからでないと後悔するかうまくいくかはだれにも分かりません。その道を選択した瞬間になにかが決まるのではなくて、選んだ後そこからどう努力をするかで、正解だったかどうかが決まると思います。自分自信を信じて日々挑戦してほしいですし、くじけたり悩んだりするときも、初心を思い出してなぜ自分がこの道を選んだのか、というのを思い出して常に挑戦する気持ちを持っていて欲しいです。(「人生の選択に迷っている人へ」2023年2月8日ハリウッド大学CMインタビュー)
わたしは自分の性格上 たくさんの方にいい言葉を貰ったりとか凄いねって言ってもらえると 逆に今のままじゃだめだ! もっと成長しなきゃ!って考える人間なんですね。 だからいつもわたしは私自身のことを大切にするのも 疎かになってしまう時があって 自分自身より、自分以外の人をより大切にしなきゃ、優先して私が犠牲にならなきゃってよく思ってしまう人間です。 多分生きるのがちょっと下手なんですけれども 多分ピオナの中にもこういう方がいらっしゃるじゃないかなって思います。 こうやって25年生きてきたので、この性格はたぶん変わらなくって、 どこまで行っても私は自分に完全には満足は多分できなくて、 辛い時間もきっとこれから多いと思います。 でもそれでもこのステージに立ち続けたくて、もっともっと頑張りたいってなぜ思えるかと言うと いつもピオナだけは皆さんだけはわたしのことを分かってくれているからです。 どんな瞬間も必ず見てくれているしどんな一瞬でもすっごいちっちゃいところでも スローモーションにしたりとか拡大して見てくれてすべての瞬間を愛してくれて どこにいても私を見つけてくれて私の少しの変化にも気づいてくれて そして私にもわからない様な成長にもに気づいてくれて まわりからしたら過保護だとかファンだからだなんて言われることもあると思うんですけど、 正直どうでもいいです。わたしは目の前にいるファンの皆さんがいつも わかってくれているっていうのが1番の支えになるし力になってます。 これからも今までのようにずっと私の味方でいてください。 わたしにとってみなさんはずっと信頼できる大切な人です。 ずっと常に幸せでいてほしいし でもそんな簡単な世の中ではないから できれば今日という日が楽しくあってほしいといつも願っている、 そんな大切な存在です(20230907大阪公演2日目日本公演最終日)
ウンチェに「マンネなんだから、可愛いカッコをすればいい。ツインテールも自信もってやれ。いつか歳を取ってできなくなるんだから。出来るときにやれ!」(202311)
「最初は、私のことを何も知らない人が、くだらないことをたくさん言っているのを見るのがとても不快でしたが、2:6:2というルールがあります。20%の人は何をしてもあなたのことを好きで、60%の人はあなたを判断する前に結果を見たい、20%の人は何をしてもあなたを嫌うので、あなたを嫌う人の言葉を気にせず、あなたを評価してくれる人にどれだけ一生懸命働いているかを示すことで、2割のアンチの人たちを変えることはできませんが、自分の立場でベストを尽くせば、彼らの目は変わり、応援してくれるはずです。私はそういう未来を見せたいと思っています」 「いつも通りの一日は、昨日亡くなった人たちが必死に生きたかった、見たかった明日です。 私たちはその人たちのためにも毎日、毎日、後悔なく過ごさなければならないと思います」うれしいことに、サングラスのレンズを通して見ると、世界はグレーです。 そして、そのレンズを通してつらいものを見ると、明るくなり、痛みが少なくなり、楽しくなります。 したがって、あなたが幸せな人生を送るかどうか、そしてあなたの周りの人々、物、物事をどう扱うかは、実際にはあなた次第なのです」「試験前の1ヶ月間は頑張らなければなりませんでした。 今月頑張らない人は、今年も頑張らない。 1年頑張らない人は10年頑張らない。 10年間頑張らない人は、この人生で頑張らないでしょう。 悔いのない人生を送りたいので、今から頑張ります」「これからもいろんなことに挑戦していきたいです。 みんながダメだと言っても、全力で挑戦します。 失敗を経験しながら同時に成長する。 平均点を取るぐらいなら、ゼロ点を取得することをお勧めします」(2023年11月)
今立っている場所がどこであれ、一緒に楽しい時間を過ごした記憶が消えることはない。LE SSERAFIMはチャレンジを通じて女性アーティストたちを「Perfect Night」に招待し、女の子たちの時間がもたらす楽しさを思い起こさせる。(2023年11月Weverseより)
「青いバラを母からいただきました。初めてです。青いバラの花ことばを知っていますか。 青いバラは自然界にはなくて『不可能の花』と呼ばれていたのですが、とうとう作ることができたので、花言葉は『不可能を可能にする』となりました。私たちにピッタリですよね」(20240209カムバックショーケース)
「IZ*ONEとして新人の時、控え室が本当に小さかったが、だんだんと大きくなって、LE SSERAFIMて再デビューして再び小さくなって」 「また最初から、それでも頑張らなきゃって、LE SSERAFIMが私の最後のチームだから」(20240220)
クラ「ユンジンの尊敬すべきところは沢山ありますが、1つは自分の気持ちを上手に表現するコミュニケーション方法を知っている事です。彼女は私にも手紙を書いてくれました。彼女が自分の気持ちを伝えようと交流してくれる時、私も勇気を出して自分の気持ちを話そうと思えるので、彼女がいてくれてとても嬉しいです。 私はユンジンのことを本当に誇りに思っています」🌸🐍(202402)
「UNFORGIVENのときこれでだめなら、もう次はないと思った。Perfect Nightが予想外にアメリカで大成功し韓国でも大ヒットして、もしかしたら私達の限界はここまでなんじゃないかと感じました」 「会社も曲も振り付けも良い。上手くやるべきは私達だけなんじゃないかと。もし失敗したら責任はメンバーの5人にくる。ものすごい重圧を感じていることをEASYのPV撮影後にメンバーに話したら皆同じ気持ちで5人で大泣きしました」(202402)
『私は運動音痴。いまみんなが見ているアイドルの姿は努力で作られたものだから…』(202402)
メンバーに日本名・韓国名をつけるなら「A. ユンジン → あかねちゃん、イ・ユリ ウンチェ → ねねちゃん、ファンガングン チェウォン → ゆきちゃん、ユン・ソンビ カズハ→ジョン・スン サクラ→キム・ユナ」(20240225)
私は長くアイドル活動してきたので、10年近く私をずっと応援してくれているファンがいます。誰かを好きになることはできても、長く好きになるのは簡単ではないとわかっているので、期待を裏切らないようにと自分に言い聞かせています。(202402Elleインタビュー)
「ざっくりいうと自分のために生きる、自分のために生きてほしい。私が去年から考えているのは、自分のために生きる、自分の好きなものだけに集中すると良いものしか見えなくなるんですよね。自分の人生だからもっと自己中に生きていいと思っていて、嫌なもの見たくないものがあれば色んな方法で見えなくできるし、気分が落ち込む時は自分の好きなものを見てほしい。自分のために生きてたらすぐ時間は過ぎていくから、みんなが辛いときは、私達の綺麗(フフフ)な様子を見るとか、そうやっていいものだけを見てほしいなと思っています。 あと、一つ一つの出来事に大きな意味を持たないっていうのも、自分がもっと楽に生きられる方法なのかなと思ったのが、一個失敗したり、辛いことやいやなことがあったりして、自分の人生は終わった、もう無理だってなるときがあるじゃないですか。でも結構時間がたつと大丈夫になったりしますよね。また逆にすごくいいことが起こる(PerfectNightの予想外の大ヒットを踏まえて)と、ここから落ちるんじゃないかと挑戦ができなくなったりするんですけど、一個一個のことがそんなに大きな意味を持たない方がもっと自由に動けるし、もっと楽に自分が楽に生きれる、もっと自分が楽に生きれる方法を探したいなと思っています」(20240302)
「最近は色んなことを考えるのが楽しくて それをまた共有するのも楽しくて 色んな人の色んな考えに触れたい年頃です🥺
今日思ったことをメモしてたんだけど ちょっと共有してみる⬇️
私が吐き出した言葉 私が感じる感情は 他の何かのせいで生まれたものじゃなく 私自身、私の内面から生まれたものであって あなたが発する言葉も あなたが感じる感情も あなた自身から生まれたものであって 全ての出来事を どう捉えるか、どう感じるかは 自分次第 自分の見方次第 この世の中には 全ての人にとって良いこと、 全ての人にとって悪いことなんてない。 そして 私を取り巻く、人、物事は全て鏡であって 今私がどんな人なのかを映し出している。 だから私はこの世界にとって優しくありたい。 この世界にとって美しい人でいたい(外見の話ではなく)。 全ての人にとって良い人、愛される人ではなく 私が好きな人に愛される人になりたい。 なんてことを考えてました🤔
嬉しいことも楽しいことも 色んなことがある1日で 生きてるなぁと実感しつつ またこれからも自分自身のために頑張ろうと改めて思えます😌 ピオナにとって今日はどんな一日だったかな? 明日はもっと素敵な一日になりますように☺️ (20240302)
私はアイドルを職業とは思っていない。子どものときにミュージカルをやっていました。オーディションもうけましたが、アイドルを目指していたわけでは無いと思います。苦労していると、そこで必ず何かを得られるはず。苦しいこと辛いことがあっただけ、幸せを感じられるので、苦しいことは幸せの予兆なんだと考えています。(20240310WeverseSoloLive)
人と比べるのは終わりがないので駄目です。何か目標を達成しても、人と比べるとつらいから、それよりかは、過去の自分と比べたりとか、昨日わたしよりは今日の私の方が頑張ったとか、この間よりはうまくできたら自分をほめてあげるとか、自分のために自分に優しく生きようと思います。(20240312WeverseSoloLive)
人生において選択することが重要じゃなくて、選択したことが正しかったと思えることが大切。その人の人生は選択した後に来ます。選択したことに努力すること。何を選択しても後悔するし、しんどいのはしんどいけれども、その選択が間違っていないと思えるように、選択した後に努力を重ねることが大切。そもそも努力ができる環境があることがありがたいこと。(20240312WeverseSoloLive)
過去へは行きたくないけど、生まれる前なら行ってみたい。未来は行きたくない。未来がわかっちゃったらつまんない。100年後の未来には興味がない。私はもういないから。(20240312WeverseSoloLive)
時間はどうにもならない。自分は幸せなことをして幸せに生きる。どうしても辛いことを避けられないことがあります。でも時間はいつの間にか過ぎていきます。苦しいことを考えないで、時間は必ず過ぎていきます。時間が過ぎていけばいつか忘れる。そうすれば幸せになる。私を苦しめることを考えないで、わたしが好きなものを好きなだけ作る。好きなものをいっぱい食べる。家族に電話する。友人といっぱい話す。
誕生日当日はありがたいことに色々していて、ここに来るのが遅くなりました😭😭
改めて、私の誕生日を祝ってくれた全ての皆さん、ありがとうございます🥹🥹🥹🥹🩷
26歳だ!!!
もう人生の半分、アイドルしてるや!!!🤔笑
びっくりですねぇ…
自分自身、アイドルを始めた頃はこの未来を想像していなかったので、本当に人生は分からないなあと思いつつも、ここまで続けられたのは周りの皆さんの支えでしかないので、感謝の気持ちでいっぱいです。
子供の頃、私にとって誕生日は、プレゼントを貰えて、私の好きなものを食べられるハッピーな日でした。
矢印が自分に向く感じが嬉しくて、いつも誕生日をそわそわ待っているようなそんな子でした。
20代を超えてからは、ちょっぴり誕生日が来るのが怖くて…笑
正直にいうと、アイドルとしての時間が短くなっていくような怖さが、ちょっとありました…笑
そして、ここ最近の誕生日、特に今回の誕生日は私にとって、少し違う意味の誕生日になりました。
誕生日というのは、誕生日を祝ってもらう日でもあるけれど、私自身が周りの人に感謝の気持ちを伝えられる日でもあるなと気づけました。
恥ずかしながら、今回の誕生日に、人生で初めて(学生時代を除く)、家族一人一人に手紙を書いて、プレゼントを渡してみました。
久々に誕生日を一緒に過ごせるということで、家族がプレゼントを用意してくれているのを感じて、私も何か感謝の気持ちを伝えたいと思ったんです。
私を産んでくれて、そして、26年間、育ててくれてありがとうございますと、手紙に書いていくうちに、色んな感情が溢れてきて、涙を堪えながら手紙を書きました。
その手紙を読みながら、涙を流す両親の姿を見て、すごく色んな気持ちが溢れてきました。
若くから自分の娘がこういう世界に入って、心配事は尽きないだろうし、なかなか会えない距離にいるからこそ、寂しさもあるだろうし。
申し訳ない気持ちもありつつ、それでも私の夢を誰よりも心から応援してくれる両親の涙を流す姿を見て、こんな気持ちになりました。
最近、自分自身の為に頑張り続けるのって、限界があるかもしれないと感じていました。
この努力は自分の為だけだと思うと、いつか限界が来て、疲れてしまいそうな気がしていたんです。
でも、両親の姿を見て、誰かのために頑張るのも、一つの方法ではないだろうかと、感じました。
全ての努力が、ただひたすら自分の為だと、自分がその情熱から手を離してしまった時、もう頑張れなくなるような気がするし、結果が出なかった時、すごくすごく苦しくなるけれど、私のことを心から応援してくれる両親の為、そして、同じくらい熱く応援してくれるピオナの為、同じ夢を持つメンバー、スタッフさんの為だと思ったら、私は不思議と力が湧いてくるような気がしました。
あくまでも、私の考えなんですが、何か一つのことを長く続けるには、こういった考え方も必要なのかなと、思いました。
今年の誕生日は、沢山の方から大きな愛を頂きました。
世界中のピオナが私の誕生日をお祝いしてくれていて、私の事を応援してくれている人がこんなにいるんだと、改めて感じられて、凄く頼もしかったです。
インターネットの世界は、日々どんどん広がっていって、プラスな事ばかりではない世界ですが、それでも私のことを好きだと、誕生日を祝ってくれる人が、こんなにいる事を知ることができるインターネットに感謝しているし、そんな姿を見て、凄く嬉しくて、ファンの皆さんにとって、これからも、誇りでいたいと思いました。
ずーっとずっと前の誕生日の時に、お母さんに、『良い事が咲きますようにという意味を込めたその名前の通り、沢山の方にお祝いして頂けるような、そんなアイドルになってほしい』と言われたことを思い出しました。
お母さんの願い通り、私は本当に沢山の人に愛してもらえるアイドルになれました。
いっぱい失敗もして、人として色んなことを学びながら、遠回りもしつつ、それでも今の自分が好きだと思えるようになりました。
人間はみな完璧ではないし、どこか未熟な部分があって、でもだから成長していけると思っています。
私自身もまだまだ色んなことを学び中で、日々反省しながら、それでも昨日より良い自分でいようと頑張っています。
この世界は、ネガティブなことの方が、より大きな声になり聞こえてくることが多いけれど、みんなが思っている以上に、この世界には幸せなこと、ポジティブなこと、嬉しいこと、大切なことが溢れていると信じているし、この世界は、醜いようで、やっぱり美しいと思います
良いことばっかりではないけれど、悪いことばっかりでもないから。
私は、皆さんの人生に少しでも良いことが増えるような、そんな存在になれたらいいなと思います。(20240319)
私は、HKT時代に雑誌の表紙に載りたくて、インスタやツイッターを一生懸命毎日投稿しました。でも雑誌は正直、人気のある人、ファッション的に影響力のある人が載るものなので簡単ではありませんでした。しかし今では、雑誌の表紙を飾り、化粧品のモデルもしたり。こういうことがまず信じられないです。私がすごくすごくやりたくて、本当に一生懸命に努力してもだめだったことが、いま全部かなっていることが本当に信じられない。本当に本当に感謝しなければいけないことです。私が努力してできた事ではなくて、まわりの人たちが助けてくれて、ピオナやファンの皆様が長い間私を応援して下さってできたことだから。でも!『ックラ』を応援する人たちは面白いだろうな。わたしも『ックラ』を応援する!(笑)本当に面白いと思う。だって想像もできなかった場所にずっと行くから。今の言葉、すごく自己愛が強すぎるかな?(笑)こんなこと言うのも不思議です。昔から私を応援してくれていた人たちは、こういうことを言うと本当に泣くんです。「『ックラ』がこんなことを言えるなんて・・・(泣)自信が持てるようになったんだね・・・(泣)」こうやって今泣いていますよね? ずっと成長し続ける私! 素敵やん!(笑)(20240407WeverseLive)
コーチェラの準備から、ステージ当日までの間に、沢山のことを学びました。 ステージに立つというのは、どういうことなのか。 完璧な姿を見せることなのか? 観客を楽しませることなのか? あるいは、1つのミスも許されず、ステージをこなすことなのか? 人によって基準は違うでしょう。 どんなステージか?によっても、変わってくるでしょう。私は、このステージを 私たちを知らない人たち、曲を初めて聞く人にも、とにかく楽しかった!今日という日が、忘れられない素敵な一日だった!と感じてもらえるような、そんなステージにしたかったです。 そして、きっと、その覚悟は伝わって、 最高のステージができたと思っています。 デビューして、まだ2年も経っていない、ツアーも一度だけしかしたことのない私たちが、コーチェラというステージで、胸を張って、楽しんで、心からこのステージへ全力を注いだ。 それだけで、まさに、人生であり、ルセラフィムだなと感じる1日でした。 ピオナも、生きていて色んな困難に立ち向かい、色んな理不尽に出会うでしょう。 でも、自分がしてきたことを確実に知っているのは、自分だけです。 私は、このステージの為に、本気で準備をして、その中で苦しみ、そして、楽しみながら、本番当日、その全てを見せられた、と思っています。 誰かの目には、未熟かもしれない。でも誰にとっても完璧な人なんていなくて。 私たちが見せてきたステージの中で、最高のステージだったことは、揺るぎない事実です。 だから、これからもっと、より良いチームになれるってことが、凄く楽しみで、もっともっと頑張りたいと、心から思えるステージでした。 誰かと比べて得られるものと、過去の私と比べて得られるものでは、何もかもが違うと思います。 どうか、普通に生きていても、苦しい世界で、心から好きだと思えるものを見つけ、良いもの好きなものだけを見てほしい。 良いものだけを見ること、それは、甘えでも何でもない。自分の人生なんだから、私が生きたいように生きていいのだから。 今日、コーチェラの広場を歩いていたら、何人かの方々が 「あなた達の昨日のステージは最高だった!!!」 と、話しかけてくれました。それだけで、私はもう感無量でした。 ステージから見える観客の皆さんが、最後まで楽しんでくれて、歌を一緒に口ずさんでくれて、そんな素敵な空間を共有できたことが、私にとって最高の思い出です。 誰がどう思っても、私は私が感じたことを信じています。 だから、ここまでこれた。 私は私を裏切らないし、これからも私を信じています。 今回のステージを作るために、手助けしてくれたスタッフの皆さん、ダンサーの皆さん、バンドの皆さん、全ての方々に感謝でいっぱいです。 そして、現場に駆けつけてくれたピオナ、配信で見守ってくれたピオナ、本当にありがとうございました。 ピオナがいてくれたから、胸を張ってできました。 本当にありがとう。 そして、これからも、想像もできない景色を見せられるように頑張るので、ずっと応援していてください😉 コーチェラ、本当にありがとうございました!!! 来週も、頑張るぞ!!!(Weverse20240415. 19:12)
私も人間なのでその日によって気持ちが色々と変わったりして、ある日は何もかもが幸せに感じたり、また違う日になると私の味方は何処にもいないんじゃないかと思ってしまう日もあります。 でもこうやって実際に私たちに会いに来てくれるピオナを肌で感じて、これから先、いつか1人で寂しい夜も今日のことを思い出せばきっと大丈夫かなと思いました。 ピオナにもきっと、そんな理由もなく寂しい日があると思いますがそんな時は今日のことを思い出して少しで元気を出して欲しいなと思います。(20240629 FEARNADA)
――デビューから2年が経ちました。この2年のあいだで、みなさんが個人的に「いちばん成長した」と思う部分はどこですか? SAKURA:自分の強みと弱みの両方を認められるようになったところが、いちばん成長したと思う部分です。自分の弱みも受け入れながら、これからも努力し続けたいと思っています。
――その成長した部分は、どんなふうに磨いていきましたか? SAKURA:自分に満足できることはなくても、ファンの皆さんから応援の言葉をいただくうちに、少しずつ自信を持つことができるようになりました。いつも支えてくださるFEARNOTの皆さんに素敵な姿をお見せできるように、これからもっと努力を続けて成長していきたいです。
――デビューからの活動期間において、メンバーのみなさんが主観的にLE SSERAFIMにとっていちばん印象的だったと思うステージがあれば教えてください。 SAKURA:昨年開催した初めての単独ツアーです。FEARNOTの皆さんの歓声でたくさんのエネルギーをもらいましたし、これからも世界中でパフォーマンスをお見せしたいと思いました。そして、ツアーを通してメンバー同士の距離もさらに近くなった気がしています。
――グループ結成初期から今に至るまで、作品のリリースやそのコンセプトを昇華していく過程で、グループ名にも込められている「IM FEARLESS」=“世のなかの視線に揺らぐことなく恐れずに前に進む”という意味はメンバーの皆さんにとっての捉え方や体現の仕方などに変化はありましたか? どのようにして、ご自身のなかに「IM FEARLESS」というワードが浸透してきたのでしょうか。 SAKURA:「IM FEARLESS」というワードがわたしたちメンバーそれぞれの考えに浸透したというよりも、これまでの経験を踏まえたわたしたち自身の想いや考え方が表現されているメッセージになっています。メンバーそれぞれのありのままの姿が反映されているので、LE SSERAFIMらしさを感じていただけたら嬉しいです。
――最新作品でもある3rdミニアルバム『EASY』は、メンバーの内面にフォーカスを当て、素直で人間的なLE SSERAFIMを見せたミニアルバムで、これまでのコンセプトでもあった“強さ”もありつつ、正直な姿や内面の悩みも垣間見えました。初めて強さの裏側/根源を見せた作品でしたが、活動を振り返るとグループの“強さ”や“強み”はどこにあると思いますか? その理由もあわせて教えてください。 SAKURA:自分たちのありのままの想いを打ち明けて音楽で表現できるところが強みだと思います。強い部分も弱いところもすべて伝えていくことで、多くの方に寄り添って共感を得られるような音楽をこれからもお届けしたいです。
――1stスタジオアルバム『UNFORGIVEN』収録のファンソング「피어나 (Between you, me and the lamppost)」はメンバー全員で作詞に参加されましたが、3rdミニアルバム『EASY』でもメンバーそれぞれが作詞を手掛けました。「Swan Song」は、「すべてを簡単に手に入れたように見えても、実は見えないところで必死に努力して血と汗を流している」ということを語った楽曲でしたが、これまでの道のりで、LE SSERAFIMのメンバーであるからこそ努力したこと、大変だったことなどはありましたか? SAKURA:これまでの作品で多様な音楽やダンスのジャンルに挑戦してきたのですが、毎回たくさん練習して素敵なパフォーマンスをお見せできるように努力しています。多様なジャンルに挑戦することが大変な時もありますが、ファンの皆さんにわたしたちのいろんな姿をお見せできたら嬉しいので、これからもたくさん挑戦し続けたいです。
――2023年は『UNFORGIVEN』のカムバックをはじめ、初の単独ツアー、全英語詞シングル「Perfect Night」リリースからアメリカでの活動、また日本デビューを経て2年連続での『NHK紅白歌合戦』の出場など、活動の幅が広がった年だったと思います。振り返ると、どのような一年でしたか? SAKURA:デビュー後初めて韓国で開催したファンミーティングが印象的でした。たくさんのFEARNOTの皆さんで埋め尽くされた会場をみて、胸がいっぱいになったのを覚えています。そして、公演中にわたしの誕生日をお祝いしてもらったのですが、本当に嬉しかったです。FEARNOTの皆さんとメンバーたちとの大切な思い出です。今年は日本でも初めてファンミーティングをすることができるので、FEARNOTの皆さんとまた素敵な時間を過ごせるのが楽しみです。
――今年の活動としては、先ほどの通り3rdミニアルバム『EASY』でのカムバック、そしてアメリカでも活動しました。大きなステージを前に、プレッシャーや負担を目の当たりにしたり、『コーチェラ』だけで披露するパフォーマンスも準備し、その期間はとてもたいへんな期間でもあったと思います。準備期間でいちばん意識したことは何でしたか? SAKURA:大きなステージでわたしたちLE SSERAFIMの音楽を披露できる機会だったので、楽曲ごとの魅力を精一杯伝えられるようにたくさん準備しました。
――本番ではナイル・ロジャースとの共演や未発表曲「1-800-hot-n-fun」の初披露、バンド編成でのパフォーマンスなど、初めて尽くしのステージでもありました。個人的なハイライトを教えてください。 SAKURA:1曲目の「ANTIFRAGILE」では最初のパフォーマンスということもあって緊張したのですが、気合いのこもったメンバー全員の情熱溢れるステージになったと思います。
――『コーチェラ』では「ルイ・ヴィトン」のカスタムメイドの衣装も話題となり、衣装はLE SSERAFIMの世界観を拡張させるひとつの大きな役割を担っていると思います。それぞれの個性を活かすステージ衣装へのこだわり、衣装を着ると切り替わるスイッチなど、メンバーの皆さんにとっての衣装はどのような存在ですか? SAKURA:衣装は身にまとうだけで自然と自信を与えてくれますし、ステージの演出のひとつとして欠かせない存在だと思います。わたしたちLE SSERAFIMのステージ上での衣装にも注目していただけたら嬉しいです。
――自身2度目となるファンミーティング『LE SSERAFIM FAN MEETING 'FEARNADA' 2024 S/S - SEOUL』を韓国で行いました。「5人のヒーローがFEARNOTの望みを叶えてみんながひとつになること」がひとつのテーマでもありましたが、みなさんにとっての“ヒーロー”というと思い浮かぶのは誰ですか? SAKURA:わたしにとってのヒーローはFEARNOTの皆さんです! どんなわたしの姿も愛してくれて、いつも、どこにいても応援してくれる姿をみて、たくさんの勇気をもらっています!
――ソウルでの『FEARNADA』では、5人各々ステージを用意し、KIM CHAEWONさんとHUH YUNJINさんは「Raise y_our glass」を、SAKURAさん、KAZUHAさん、HONG EUNCHAEさんはそれぞれダンスカバーを披露しましたね。 SAKURA:本番までたくさん練習したので、当日うまくパフォーマンスできてよかったです。FEARNOTの皆さんが楽しんでくださっていたら嬉しいです。
――そして、今回日本での初開催となるファンミーティング『LE SSERAFIM FAN MEETING 'FEARNADA' 2024 S/S - JAPAN』も開催されます。日本での初開催ということで、何か楽しみにしていることはありますか? SAKURA:今回、日本で初めてのファンミーティングなので、皆さんととにかく楽しい時間を過ごせたら嬉しいです。そして、今回は兵庫、愛知、神奈川、福岡の4都市に行くのですが、福岡はLE SSERAFIMとして初めて公演をしに行くので、とてもワクワクしています。たくさんのFEARNOTの皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。
――日本に帰ってきた際に、必ずすることや必ず食べるもの、必ず立ち寄るところなど、“日本ルーティーン”は何かありますか? SAKURA:コンビニで新しいお菓子や飲み物を見つけたり、牛タンを食べることが多いです!
――LE SSERAFIMとして、もしくはLE SSERAFIMのメンバーとして、今目標に掲げていることや叶えたい夢はなんですか?SAKURA:LE SSERAFIMとして常に素敵なパフォーマンスをお見せできるように自己管理だけでなく、メンバーたちの支えにもなりたいと思っています。また、ワールドツアーも目標のひとつです。
――2024年を通して達成したいことは何かありますか? SAKURA:まずは6、7月の日本でのファンミーティングを思い切り楽しい時間にして、FEARNOTの皆さんと素敵な思い出を作ること。そして、今後の活動でもより成長した姿をお見せできるように努力していきたいです。(20240701リアルサウンド編集部)
(以下時期不明)
もう一度生まれ変わっても…"宮脇咲良"として生まれ変わりたい
行動力が夢を少しでも近づける。
経験はすべて、今の私につながっている。
常に貪欲に、そしてアンテナを張って、いろんなものをとにかく取り入れることが、その先の夢に繋がる第一歩なのかなって思います。
目標を立てて、その期日までに何をクリアし、自分の今すべきことは何かを考える。
今の場所から夢までは限りなく遠く感じる。しかし、実はその夢は近くにあり、あともう少しなのかもしれない。
時計の針を追いかけてはいけないと思っています。その針が回って、いつか自分たちとぶつかる瞬間があると信じています。信念を持って活動を続けて、その瞬間を待つ。
(いじめられて悩む人に)世界はとってもとっても広いです。人生のなかで、出会える人なんて世界の中の人の中だとほんの少し。自分の中の小さな世界が嫌になったなら、違う世界に行けばいい。
あれこれ、これをやったらどうなるかなとか考える前にとにかく実践、行動に移すということを常に考えています。
変わろうと思ったら、いくらでも女の子は変われるんだなって最近気づいてきて、休みの日とかはカフェで女の子を観察したりしています。
勉強をしていると、周りの友達からよく聞く言葉があります。「方程式なんて生きてて使わないのになんで覚えるの?」もしかしたら、そうかもしれない。でも、方程式を覚えようとする集中力、記憶力、目標へ向けて頑張る力、いろんな力が身に付くと思っています。だから、今していることは無駄にはならない。私はそう思っています。
パフォーマンスを誰よりも楽しんでいるという自信があります。ステージに立つと瞬間瞬間が夢の中にいるくらい楽しくて、緊張もしないんです。
今までは謙虚でいなきゃいけない、という想いから自信を持つと成長が止まると思っていた。自信を持つことは“悪”だと。でも韓国のアイドルの子たちの姿や発言で、自己満足と自己肯定の違いに気づけた
どんなに離れていても、私たちはパフォーマンスやラジオ、プライベートメールなどを通して、WIZ*ONEにたくさんの姿やたくさんの愛を届けたいと思うので、WIZ*ONEも私たちをずっと応援してくれていたら嬉しいなと思います
後になってから気づく幸せは本当に幸せなのか、過去はいつも美化されて嘘の輝きを放つ
ユンジン語録
ウンチェに「可愛いって言ってほしいなら何度でも言ってあげる」
体形を気にする必要はない。ありのままの姿が一番美しい。
「別の人生では、ホ・ユンジンはニューヨーク市に住んでいたでしょう。彼女は経営学の学位を持っていて、ブロードウェイの明かりが見えるタイムズスクエア近くの高層ビルのどこかのオフィスで働いていました。彼女は小さなアパートに住み、8ドルを払ってオーツミルク入りのアイス抹茶ラテを飲み、週末はショーに行ったり、棚をふるいにかけたりして中古品を探し、人間科学の教科書のページを勉強して過ごしました。これらは、ワシントンスクエアパーク近くの5番街で、ヘッドフォンとチェック柄のジャケットを着た若い女性がタクシーから降りるのを見たとき、彼女の頭の中を駆け巡った仮定です」
「「彼女は授業に遅刻したように見えた」と、22歳のシンガーは数日後の10月の晴れた午後にNYLONに語った。「『ああ、違う宇宙にいたら、もしかしたら私だったかもしれない』と思いました。特に今は、そのことについてよく考えます」」
「玄関脇で見張りをしているハンサムなボディーガードと、窓際のインスタ映えするテーブルの横に座っている少人数のスタッフがいなければ、K-POPスターであり、チャートトップのガールズグループLe Sserafimの5分の1にあたるHuh Yunjinであることを忘れてしまいがちだ。イーストビレッジの中心部にあり、アーティスト、ニューヨーク大学の学生、若い専門家を魅了する趣のあるカフェ、レピンでベトナムのアイスコーヒーを飲む彼女は、イースト10番街を散歩する他の20代の若者のように見えます。最近染めた生姜色の髪は、白いベビーTシャツ、ダークなオーバーサイズのフランネル、スウェット、Travis Scott x Air Jordan 1sという控えめなルックとは対照的に、肩を過ぎて艶やかなウェーブを打っている。 「クラゲが死ぬと、水の中で消えて、残骸が残らないって知ってる?」と、財布からぶら下がっている小さなクラゲのぬいぐるみを指差すと、彼女は接線として言った。「彼らは痕跡を残さない。おかしな話だ」」
「Le Sserafimのメンバーであるユンジンは、カリスマ性と態度の超新星ですが、実際に会ってみると、フレンドリーで、地に足がついていて、ストーリーに満ちています。この1年間、彼女はアイドルに対する世界の見方を変えたいと願う熟練したソングライターとして静かに地位を確立してきました。2022年5月のデビューに続き、初のソロシングル「Raise Y_our Glass」をリリースし、ローファイに弱さを認めたメインストリームのリリースの中で際立っていた。しかし、2023年1月にリリースしたシングル「I ≠ DOLL」は、有害なアイドル文化に立ち向かい、パフォーマンスとスペクタクルが最優先される業界における親密さに衝撃を与えた曲だ。(「アイドルはお前の人形をクソにする意味じゃない」と、最も突き刺さる歌詞の1つだ。彼女にとって、これらの曲はただの日記だった。「そういう気持ちで曲を書いているときが、一番自然で本物の歌詞を紙に書き留めるんです」と彼女は言う。」
「しかし最近、ユンジンは少し元気がないと感じている。カリフォルニア州アナハイムへ向かう前に、バンド仲間たちと何度かプレスの機会を得た後、ル・セラフィムのアメリカでの初公演のために街で、彼女はこの東海岸の回り道が新鮮なクリエイティブなエネルギーをかき立てるのに役立つことを願っています。「実は飛行機から始まったんです」と彼女は言い、新しいアイデアのうねりについて言及します。彼女は、自分の将来、歌詞、そしてスタジオでフォローする可能性のあるクリエイティブな糸についての考えを書き留めました。「『うわー、これはちょっとクレイジーだな』と思いました。家に帰るよ』って」」
「ユンジンは厳密には州北部の子供で、ニューヨークから北に数時間のニスカユナという小さな町で育ち、そこでストーリーテリングの旅を始めました。韓国で生まれた彼女は、アメリカで育ち、物語を通して自分のアイデンティティをナビゲートし、フィクション作品とテイラー・スウィフトのディスコグラフィー全体に没頭しました。(ジョン・F・ケネディ空港に着陸すると、彼女は「ニューヨークへようこそ」と合図を送った。子供の頃、彼女は10代の吸血鬼や辺境の少女についての短編小説を書き、繊細でありながら刺激的な言葉の方法を発展させました。」
「2021年、BTSのメガスターの所属レーベルHYBE傘下のSource MusicからLe Sserafimにスカウトされたのは、彼女のソングライティングが、アイドルとしてだけでなく、リアルに語るアーティストとしての彼女の可能性を信じていたからだ。それは、いくつかのタレントエージェンシーを転々とし、スターサーチのコンペティションショーに参加して成功しなかった後、彼女が何年も待っていた機会でした。デビューから19ヶ月が経った今、ユンジンは自身のソロ作品を制作し、韓国のストリーミングチャートで首位を獲得した最新英語シングル「Perfect Night」を含むいくつかの曲で作曲と作詞作曲のクレジットを手がけ、Le Sserafimのカタログに大きく貢献している。」
「「私が仕事ができる環境は、表現の面でとても自由です」と彼女は自身のレーベルについて語り、このクリエイティブな爆発は誰のおかげだと考えています。「ありがたいことに、私は生まれつき表現力豊かな人間ですから」」
「「私は今に存在し、自分の感情に寄り添うようにしてきました」
彼女の曲作りプロセスは通常、iPhoneのボイスメモアプリでアイデアを録音し、HYBEの少人数のプロデューサーチームと共有することから始まります。一般的には肯定的なフィードバックをもらっているが、「もっと批判を受けるべきだ」と考えているという。最近は、ソロでの執筆と『Le Sserafim』の執筆のバランスを取ろうとしているが、彼女には「簡潔に書かなければならないけど、私はそれがとても苦手なの」という独自の課題があるという。」
「彼女を助けてくれているのはラップを書くことで、「それが私の新しい挑戦です」と彼女は言う。具体的には、SZAのリズムと巧みな言葉遣い、メロディアスな音節を安定した意識の流れに変える方法を研究しています。韓国の音楽トーク番組「The Seasons: Long Day, Long Night With AKMU」に出演したユンジンは、SZAのヒット曲「Kill Bill」をギターで少しだけ披露した。「彼女の音楽を聴くたびに、彼女はどうやってそんなことを考えたんだろうって思うの」と彼女は言う。」
「1番街のL Train Vintageの混沌とした午後の喧騒に足を踏み入れると、ユンジンは曲の次の大きなアイデアを話し始めた。HYBEの創業者で会長のバン・シヒョク氏との率直な会話から、今の気持ちを書いてみたらどうかと提案された。「私が書いた音楽の多くは、私の過去の経験について書かれているの。だから、彼が『今の気持ちを話してみたらどう?』と言ったとき、それは私にとって本当に大きな質問だったわ。それ以来、私は現在に存在し、自分の感情に寄り添うようにしています」」
「厚手のアウターウェアと丈夫なカーハートのジャケットのラックをめくりながら、彼女は催眠療法士のマイケル・ニュートン博士の著書『Journey of Souls』を読んだことを話してくれた。黒のスキニージーンズを履いたティーン、やり手の練習生、燃えるような赤い髪の大胆不敵なポップスター、業界を揺るがそうとするシンガーソングライターなど、あらゆるバージョンの自分を思い浮かべました。」
「「あれは、ここの飛行機の中で書いていた曲なの」と彼女は言う。「過去の自分を愛し、それを手放すこと。なぜなら、彼らは私でいるために自分自身を手放さなければならなかったからです」」
IMPOSSIBLEは不可能。でもたった一本の線でI'M POSSIBLEに替えられる。私は出来る! 人生は難しい。きっとたくさんの壁にぶつかる。人生は水たまり。でもあなたなら乗り越えられる。だって私も乗り越えたんだから。皆さんは素敵に成長できるはず。You can make it look EASY。私もそうやって来たんだから。あなたならできる! 誰もが成功できる! 私はあなたを信じている。(20240218ムン先生)
ユンジン「私はメンバー全員に感謝していますが、チェウォンオンニはいつもプロフェッショナルです。どんな状況でも、例え私達が皆疲れ果てていたとしても彼女は指一本で自分の能力と共にまとめて導いてくれる素晴らしい力を持っています。彼女は私が様々な状況でムードメーカーだと感じる人で、それにとても感謝しています」「時には彼女はとても真面目ですが、私達5人だけで一緒にいる時にはとても遊び心があってのんびりしています。彼女のそばにいると笑顔が生まれます、私は笑いが本当に最高の薬だと思う時がある。彼女が私より年上だということは知っていますが、彼女は私の親友のように感じていて、一緒にいるのが本当に楽しいです」チェウォン「(ユンジンが英語で喋ったので)後で全部私に翻訳して話してください。笑」🐯🐍
(メンバーと2024を振り返って)成功≠幸せ、私達が唯一コントロールできるのは"過程"だけだと思う。だからこそ、私達が共にいられる今を楽しんで、限りあるこの時間を有意義に使おうと話した。
チェウォン語録
チェウォン「カズハは本当にいつも休まず頑張っていて、日々上手くなるように努力しています。 私達が休んでいる時でさえ、彼女は1人黙々と練習しています。私は彼女がいつも努力家であることが大好きで、その姿を誇りに思っています。彼女は常に全てのことへの感謝の心を忘れず、前向きな考え方も持っています。私は"ポジティブな人間が一番強い"と考えているので、それが彼女の好きなところです」🐯🦢
カズハ語録
カズハ「私はクラオンニからから学ぶ事が沢山あります。今回のアルバム準備で予告編とジャケット撮影をする時、表情豊かな魅力を持っているのが分かりました。私達が新しい挑戦をする度に彼女は自分の新たな一面を見せようとし、とても印象的だと思います。 彼女は私達の中で一番年上なので本来の自分を見せて気持ちを隠さず話すことは難しいかもしれないのに、それをいつもしてくれます。彼女は私達にとても正直に接してくれるので、私達も心を開いて話すことができます。 彼女は現実的で率直です。私はこのチームでいるのが大好きです」🌸🦢
ウンチェ語録
ウンチェ「私のオンニ達はそれぞれ個性が際立つ独特の長所と魅力を持っています。オンニ達は沢山の事が出来るし、私はその知識を近くで見て学ぶことが出来るので誇りに思います。観客の前で自信を持ったステージを披露する時、私は自分自身を最も誇りに思います。私は全てのことを楽しんでいます!」❤️🔥
クラお姉ちゃんといっしょにいつもなんでも頑張って走ってきたら、もう一年という時間が経ちましたね。ありがたいことが本当に多くて、黙々と日々を過ごし、いつもわたしに頼りになる背中を見せてくれます。私の素敵なお姉ちゃんとして心強い安らげる場所になってくれてありがとう。素敵なクラ姉の誕生日を心から祝うことができてうれしいです。お姉さんは私たちのチームの宝物であり、誇りであり、愛されるの値する存在です。それだけすごく愛してるし、これからも元気に素敵なことをしていきましょう。今日だけじゃなくてずっと長い間今日のように隣で誕生日を祝いたいです。<だいすきお姉ちゃん>お誕生日おめでとう、クラ姉さん💗(20240319)
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